下北沢のシンガーソングライター東京ゾンビのブログ。

仕事と音楽のバランス感覚を喪失しながら、
半体制半オルタナティブなマインドで音楽を鳴らす。
ギター弾き語り〜打ち込みまで日々実験中。

*各種ライブ/DJ/楽曲提供依頼等受付中。詳しくはWEBを。
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アンハッピーxサイレントxラッシュアワー

JUGEMテーマ:通勤

 

アンハッピー大国日本において、朝のモーニングラッシュはアンハッピー指数を底上げしている一つの事実である。

そんなことを嘆きながら長い間サラリーマンやってきたわけだけど、先日思わず変わらなければと思った次第である。

 

そういえば英語だとラッシュアワーっていうんだけど、ジャッキーチェンとクリスタッカーがタッグを組んだ映画の名前がそうだったなと回顧したいところではありますが本題に入ります。

 

満員電車に関してはいろいろ残念なこと多いけど、どうしても複合的に嫌な気分になるのが、車両の奥の方から降りる時にぐいぐい押す事象。

 

基本一言降りますって言えば、比較的どいてくれるのに無言の圧力で主張してくる感じなかなかすごいよね。まぁ満員電車で駅がどこだかわからなくなって慌てて降りなきゃいけない時もあると思うのですが、グイグイ人を押して出るのやめて欲しいです。そしてさらに悪いことに、これシャイな日本人特有なのかな?、無言なのね。一言「すみません降ります」って言ってくれればみんな道開けるのに、押さなくて済むのに言わない。もちろん、一言もないと出口付近にもかかわらず、まじで一度降りるの完全拒否の地蔵ピープルもいるんだけど。完全拒否地蔵ピープルのせいで降りなくてもいいポジションの人が、え、まじ私降りるの?ってなるのも歩合が悪い。

 

そんで今回のケースは、奥の方から降りたそうに動き始める人いたなぁと思ったけど、あまりにもペース遅過ぎてもう、駅から乗る人が乗る儀式済んだ後にまだ真ん中ぐらいなのね。

 

で、いてもたってもいられず、というかこのまま彼はグイグイ進み続け本当に迷惑ものになりそうだったから、「降りる人いまーす」って私が声あげちゃったよね。

 

ここで振り返ります。まず彼へ。降りる宣言してくれよ。というのと、もう道開けるの諦めてる人々人々、気を使ってやってくれ。そして、彼は道を開けない限りグイグイ進んでくるぞ、第ニ形態のシン・ゴジラみたいに街の秩序を壊す。(シン・ゴジラの得体の知れなさって、時々日本人に感じるよ)

そして、みんなへ。動かずやりすごしたい気持ちはわかるけれど、あればどう見積もったって遅かれ早かれ降りることになるのは明白なんだから堪忍して降りれば10秒くらいスムーズに乗車できるよ。

 

何はともあれ、やっぱこの押し問答、全て無言はなかなかシャイですよね。

 

ほんとお願いしたいのは、一声勇気を振り絞って声を掛け合うこと。(誰目線だよ?になっていますが気にしません)サッカー選手ならみんなやってるように。そして当事者ではなくても、声出してしまってもいいかもしれない。みんな社会の歯車になって潤滑に社会を回してるのに、こういう時のギアのかけ違いは気にならないのはもったいない。

 

ミクロな話だけど、これが変わったら社会が少し変わる気がするのです。みんな声をあげる。

 

今こそ草の根的にマインドを解き放て、日本人。私も気持ちお節介に声を上げるから。
 

お幸せに

 

2012年の照りつける太陽と眩しそうに遠くの山を見ているフジロックの井上陽水の締めの言葉は、「お幸せに」だった。ハッピーニューイヤーみたいに間抜けなハッピーではなく、「お幸せに」にはいい重みある。おぅおぅ、なかなかそんな言葉使わないぞ、井上陽水!!尊い人(リスペクト)

 

さて、最近アンハッピー因子が飛び交って仕方ない気がしている。

 

わりと見るほうだから見なければいいのだけれど、テレビを見ていても、ウェブ記事を見ていても、ツイッター見てもどこも偏っていて、この情報たちに辟易する。

 

政治や社会問題に関するものならまだしも、アホな政治家、アイドルのゴシップ、悲惨な事件の犯人たたきなどすべてエンタメ感がしてしまって。テレビは最近ひどいよね。

 

でもこれ、テレビだけじゃなくてもツイッターとかでもあって。テレビほどしょーもない層に向けてないけど、いや、正義心あるものもあるんだけも、ある種のエゴイズムが遍いていて、というのはやはりバズりを狙っている節もあり、ある種の政治のロビー活動的な匂いが最近するんだな。この記事もまたエゴだけど。

 

最近それらに一喜一憂して感情を無駄遣いすることに、疲弊する。

 

そして、いいねやフォロワーの数とかに、なんだか自分の小ささを比べてしまったり、感情の磨耗を昔より感じるんだな。

 

しかし、自分は自分だから。何やっててもハッピーを感じられるならいいじゃんて思いたい。

 

年収や仕事とか比較しても上には上がいて限りがないのだから、いま石ころみたいに転がってるローリンストーンな人生を愛でてやってもいいんじゃないかって思う。で、アンハッピーなら自分がハッピーだと思う時を、箇条書きでつらつら書き連ねて、逆にアンハッピーなリストも同じように書き連ねて、ハッピー比率前年比1パーセントUPとかやってたら楽しいんじゃないかとか思う。これ資本主義世界で働いてる人たち仕事で結構やってるなぁ、というかやってて思いついた。たぶん自分はリスト化までしてないけど、音楽制作でやっている気がする。

 

そもそも世界的にトランプみたいな危なっかしいやつがポピュリストで人気になる感じや、形だけつくろって中身の伴わない日本の首相とか、とーでもいいテレビ番組がゴールデンで幅利かせている世界と戦うのもなかなか神経使うと思う。

 

ここまでついてこれた人いるかわかりませんが、満たされない何かがあるんです。遍いているんだよなぁ。

 

これらの満たされない何かはなんだろうか。

 

何というか、テレビやSNSでどうとかできない隙間みたいなもの、いや前からあったと思うんだけど、それは隙間程度かと思っていたら何か巨大な空洞だったみたいな。

 

何か大きなものが欠落してる。

 

異種混合の人たちがもっと議論したりぶつけ合ったりするような祭典が何か必要な気がするんだよなぁ。それもともと国と国の争いを運動で解決したいオリンピック的な発想かもしれない。でも素晴らしいアスリートたちが競い合い、それを見る傍観者の構図は何だかもう別物で、所詮エンターテイメントなんだよね。グローバリゼーション以降、国の代表みたいな幻想もどーでもよい。

 

それよりマイ運動会みたいなことやったほうが楽しそうだな。

 

それで話がうろちょろしたけど、自分が最近とてもハッピーだったことは、近くのバーで飲んでて、スターウォーズ好きの若者と喋ってて、昔誰かにやってもらったように一杯奢ってみたりとかして、楽しい夜を過ごして、また入れ替わってやってきたお客さんがいい感じに酔って最近あったどーでもよいことをつらつら楽しそうに語っている感じ、そしてバトンタッチをして徒歩10分の道のり。

 

深夜2時街にはまだまだ眠らない人たちが、夜と戯れる。酒場から漏れる音や、付き合ったばかりのカップルが初めて泊まりに行く感じとか(たぶん)垣間見れて、こんな夜が忙しい昼間のハードルをまたいで、無限ループで続いてて、いま自分ここにいると感じた時。

 

なんだか良い夜だった。

 

そんなナイトクルージングな曲を今作ってます。それが幸せです。

 

 

 

JUGEMテーマ:日常

ドラッグ

はじめに、ダラダラした文章ですみません。

 

多くのロックラバー(ロックやポップミュージックを愛する人たち)にとってドラッグとは神格化された神々的ロックスターの象徴的なマテリアルであり、数々の名曲を生んできたとかそうでないとかあらゆる神話を生む魔法のような位置付けである。

 

そして、華やかな音楽とともに生き急いできた神々たち。ジャニスジョップリン、ジミ・ヘンドリックス、カートコバーン。直接的ではないものも含む。

 

しかし、その死すら何だがロック殉教みたいでかっこいい感じになっている我々は完全に麻痺してるのか、それとも自由を謳歌して早く死ぬとかいう生き様に憧れるエセボヘミアンなのか。

 

まるでそれらを手にすることで、短期間で素晴らしい才能を手に入れ、そして普通よりも早死にしてしまう、悪魔と契り交わしちゃう的なやつなのか。

 

日本でコカインやそのほかドラッグで年間どれくらの人が死んでるかはわからないが、アメリカではドラッグで死ぬ人は銃犯罪や交通事故よりも多いとか。

 

一方で、そんな危険なドラッグを上手く使いこなす人もいるのだという。はたまた精神疾患のある人が医療的な治療としてドラッグを使うケースもある。

 

マリファナとそれ以外の強めの危険ドラッグは少し扱いが違ったりするようで、オランダなどはマリファナは認めているし、最近はカナダを始め各国で合法化されている。そのためマリファナの功罪はいまいちわからない。やってみないと笑

 

しかし、危険ドラッグにおいて、タバコのようにスパスパ吸うことができてしまったら、人々は依存して仕事しなくなるんじゃね?というのが大半の国の政府の見解だと思っている。だいぶざっくりですが。

 

そして、幸福度の低いと言われがちな日本人には、満員電車で頑張れちゃう日本人には少し危険な香りがするドラッグ。

 

ただ今回の電気グルーヴ瀧事件のように、適度な摂取で生活していける人の存在も衝撃的で。電気の瀧は普通じゃないことが売りだからやるべくしてやってたのかとか思いつつ、役者ってドラッグやって大丈夫な方だっのか?とある意味びっくりした。

 

しかし、彼のような変人を差し置いて、生真面目な会社員的な仕事をしてる人たちにはかなりハードル高いと思う。仮に合法になったとしても、特別な人たちだけが吸える免許制にでもしない限り、マイフレンズ、ジャパニーズゾンビたちは依存してしまわないか。どんどんレールの上から脱落してしまうのではないか。しかし、特別免許なんて制度は作れやしないだろうね。だから法的に規制が入るのは仕方がないことなんだよな。虜になって死んでしまう人も数多くいるわけだし、身内にそういった経験をされている人がいる方にはやはり肯定できないものでしょう。

 

あーだこーだ、当たり前のようにドラッグに抜け道はないってことを改めて巡らせた上で、やっぱりそれをやるってことはそれなりに重たい罪なんだな。派生して事件のせいで狂ってしまった関係者には中々過酷な状況だろう。いだてんも放送規制云々の前に撮影できんし。ドラッグやらない瀧ではダメだったのかな〜。原っぱ会とかドラッグなくてもあのテンション出せてたけどな〜。まっちゃんドーピングって言うのもわからなくはないんだな。頭使って頑張っているお笑い的には。

 

でもCD回収や放送自粛はやり過ぎだよね。それは法が裁く範疇ではないし、直接的被害者がいるわけでもないから倫理的な問題でもないし。消費者が選ぶでいいよね。

 

JUGEMテーマ:日常

世界に一つだけの根っこ

仕事忙しくて、

生き方に迷ったり、

時々無気力になったり、

それでも誰かの不幸のニュースや、

世界の暴力による悲しみを感じて、

しかし世界を救うことなんてできないと嘆くなら…

 

目の前の一つ一つプラスにして行きたいと

小さなともし火を灯して、

身近なさまざまな人々が幸せになれるように。

幸せになりますようにじゃなくて、

なれるように自分がどう行動したら効果的なのか、

まずは身の回りの幸せ起こせるくらいになりたいと思う衝動がたまに訪れる。

 

そんなことキリスト教然り、もともと信仰があれば、この境地に到達するのうん10年もかからなかったんじゃねーか?とか思うけど、己の歩んできたそれぞれのバックグラウンド背負いながら、己が未だ見ぬ境地に達せられるように、がむしゃらにやるべきなんじゃないかという衝動にかられたり。

 

「世界に一つだけの花」を聴いて満足するんじゃなくて、そもそも人生の花なんて咲くとは限らないから、咲くように踏ん張る根っこの力の方が大切だったり。人間の欲望は尽きないから、もしかしたら一生咲かないかもしれないことを恐れて咲かすために頑張るマイナスからの欲望。

 

…いつもよりやたら混んでるクソ満員電車だったが、病人が出たからということを知り、ぐっと耐える。

それでもおさまらない熱はスマホのエバーノートに書き留める、ちっぽけなアウトプットダイアリー。

 

 

JUGEMテーマ:日常

夢見る過程
最近はもう夢を追いかけるとかそういう歳でもなくなってきて、追いかけてもいいんだけど、例えば最近の若いミュージシャンとか早熟で、もう夢追いかける系市場は一部の優れた若手にターゲット合わせてるってムードを感じる。(もともとそうだったかもしれないが。)

スーパーオーガニズムとかスーパーオーガニズムとかスーパーオーガニズムとかCHAIとか。

一方で超高齢化社会を迎える日本を考えると、おっさんやお年寄りビジネス、それはそれで大きな市場だ。レコードブームとかツアー旅行とか。それはそれで充実のラインナップで、一生それに費やすことできる自信はある。

しかし、物足りない何か。下北沢にはそんな物足りない人々が夜な夜なDJやらLIVEをやっているのかもしれない。

ことさら自分のようにLIVEしたり音楽制作に時間費やしちゃう系男子としては、衝撃的なことにそこに夢をまだ見出している系おじさんへと向かうことが、明白である。未だ見ぬ喜び、アンノウンプレジャーを求めるには常にその先の恍惚と光るまばゆい光の中、はたまたただのもやもやした霧に何かを見い出さんともがくしかない。

しかしその光、あるいはもやもやの中に見い出す希望がどこかにあるのではないかと思う。見えそうで見えない何か。 チラリズムという言葉(死語?)があるけど、AVではなく水着というか、男女の駆け引きにおけるちょっとした押しと引き、人参ぶら下げた仕事という即物的に簡単に手に入らないものたちへ心駆られる衝動。

つかめそうで掴めないものたちへの愛 ことさら掴めた方が満たされるに違いないのだけど。

掴んでしまった後ふと訪れる憂鬱。 そんな時はまた再起を誓って頑張ることがセオリーだけど、思い起こさせるのはそこに向かっていった過程のなんと充実していたかという淡い思い出。のろしのようにゆらゆらと、火照るほてる。 過程を楽しめれば、人生なんとかやっていける。前からそう思っていたけど、どんどん過程の深みにはまっていく感じする今日この頃。

だから夢は一応見ておこう。少し高めの目標は持っておこう。パン食い競争のようにパクパク口を開けて飛び跳ねよう。

****************

少し話が変わって、この前例のごとくブルーマンデーで知り合った桜井鈴茂さんのイベントにお招きいただいてLIVEをやりましたが、少しやりたいLIVEに近づいている感ありました。

そして、その桜井さんは小説を書かれており、彼の「できそこないの世界でおれたちは」を読んでみたらおもしろくて、すごく入ってきて、結構テンション上がった。

アラフォーくらいのほどほどにやりたいことやって暮らしているけど物足りない何かが何処かにある人の話だけど、わりと今思っていること、これから出くわすであろうと想像していたこととそう遠くなく、すごくシンパシー感じてしまいました。今日書いたことも少し繋がる部分もあると思いますが、あんなうまくかけてないなぁ。

そして、あれこれ悩みつつ過程を経ることで、何か新しい発見や喜び悲しみが1.2割り増しくらいで訪れる世界を楽しみたい。

とりとめない文章でした。また来週!



真冬の迎春よ、お前のこと嫌いではない
真冬の迎春よ、お前のこと嫌いではない

冬が大嫌いで大人になるにつれて、年々冬が訪れることが苦痛でしかなくなってきた。というのもずっと身体細くて、平熱35度台!?の私は36度台の人々とは比べ物にならないくらい寒い。

この平熱と寒がりの関連性に気づいたのは数年前だったか、何かのテレビ番組で西洋人はなぜ冬でも薄着なのか?という番組をやっていたのを見てからだ。

たしかに街に溢れる西洋人たちといったら冬でもオープンカフェで飲んどるやないかい!!と、いつも度肝抜かれてた。 その番組では冬のジェットコースターに乗っても余裕の西洋人たちを見つけて、詳細は忘れたが色々実験を重ねた結果、平熱37度台という衝撃の事実を突きつけてきた。

(これは学校教育の過程で小学校レベルで習ってもいい知識だと思うぞ。)

それでは、戦前のアメリカ人にいろいろ勝てないよな。そいえばクドカンの大河ドラマ「いだてん」で20世紀初頭にオリンピック初参加するか否かで揉めてる時に、「日本人の体には無理です」とか強く反対されてたけど、やっぱ身体のつくり圧倒的に違うのわかってたのね。

ということで、平熱高いから寒さ大丈夫ということは、平熱低いと寒さ大丈夫じゃないということがわかり、インフルエンザの時しか使わない体温計で平熱を測ってみたんだな。

そしたら平熱35度台なのな。子供の頃36度台で、普通そうだと思ってたのに衝撃だったね、ショックだったね。

で、これにはいろんな現代病的原因があり、いろいろ改善に努めているけど、長くなるから割愛する。

そして、大きく脱線した後に冒頭の冬が嫌いの話に戻るけど、最近はもはや冬嫌いへのメンタル改善をしたおかげで改善されている。

というのは、冬が来るということは、冬を耐えれば春来るってことやんと思うようになったからなのだ!


かなりバカな発言であることを承知の上だ。


というか、そう思うバカになれることが憂鬱をなくす手段だったりすると思う。

そして、そのマインドを刷り込んでいく中で、あるワードが突然私的ランキング急上昇してきたのだ。


それは迎春!!


1月になると真冬で寒いのに、なんだかよくわからないのに、春ワード出てきます。そして、なんかめでたい感じしますが、寒いので全然ウソやん!感が強い言葉でした。

でも、冬を耐えしのげば春来るマインドとなった私には、とてもクールな言葉となりました!

ちなみに、この時期ずれの迎春という言葉が旧正月の名残りでどーとかってのはなんとなく知っているのではないでしょうか。

で、気になって少し調べてみたらいろいろ興味深かった。 まず旧正月って、中国はずっと使っているけれど、2019年に関しては2/5だそうだ。1ヶ月くらいずれているのね。 中国と取引がある方は経験あるかと思いますが、この辺になるとあらゆる生産がストップする。取引してた今や某世界企業になって某国とバチバチやってる製造メーカーとかも、休む時はライン完全ストップね。 しかも日本の6連休とかのレベルではなく長い場合2週間くらい。

そして、中国ではやたら爆竹をパンパン鳴らすのが伝統のようで、以前旅行行った時ビビった。

では、中国に追従してきた日本はいつから新正月になったのか?というと明治6年に、西暦に合わせて1/1にしたんだとさ。

なんか最近〜!

まぁそりゃ明治で急速に西洋化する過程で、そこも同化したかったのね。 大河ドラマ「西郷どん」では、大久保が西洋に近づくためにやたらヒゲ生やしたりパイプ加えたり、真似ることから近づく感がよく描かれてました。

で、一説によると旧正月は3年に一度13ヶ月の年があり、政府が月給ケチりたいから廃止したとかしないとかって話もある。

といろいろ歪んで、2月の旧正月なら後1ヶ月で春だから迎春感あるけど、1月は迎春感薄いのは西洋化の影響が多分にあったのだ。


そして、私の平熱の低さを通して知った西洋人への劣等感と、西洋化で消え去った旧正月を思うとシューンとしますが、最近冬でも迎春感ある私は、私である限り、私のまま生きようと思いました。
満員電車や駅の乗り継ぎや

最近ツイッターでつぶやくだけじゃ満たされない何かがあり、

かと言って歌にするほど深みもまとまりもないけど、

”つぶやきもき”を2019年は書いていきたいと思います。

できれば毎週。

 

*********************

 

年末年始の連休を終え久しぶりに電車に乗ると、

リフレッシュした分新たな気持ちで物事を感じられるなぁ。

 

そして今さら、本当に今さらなのですが、

満員電車の混雑はやっぱ異常ね。

 

と言っても満員電車への不満というのは

もはや誰もが簡単に思いつく不平不満ワードだから

不平不満の中での立ち位置がもはや不平不満と

言えないくらいの次元に到達している。

 

満員電車やハードワークは東京ゾンビ的原点でもあったりするのだが、、、

 

しかし最近はと言えば、もはや日常として受け入れられ、

人々は感情を無にして、新聞や本やスマホの画面に入り込んで、

はたまた目をつぶって瞑想して、、、

それぞれの世界を作り上げている。

 

そうやって自分含めて日本人は様々なことを”受け入れること”を

ライフワークとしていて、何だか小慣れてしまっているけど、

 

年末年始を経た満員電車のヤバさの新鮮さ!

なぜに皆同じ時間に出かけてお互い苦しい思いをしているのか!

 

を改めて感じると、どこかがんじがらめで仕方がない、

思考停止に近いムード感がやはりあるのだと思う。

 

なので新しい道を切り開いて行かなければならないなという自己変革マインドに拍車がかかり、

イチ抜けるとか個々が飛び出して行かなければならないのかなと思ったりします。

 

例えばそれらに縛られない仕事や富や地位とか。

 

あまり欲のない平凡な自分にとっては無縁だったけど、

というかあまり大それたことをやれるとは思っていないけど、

なんとなく心の奥底に無理だろう、時間がないと諦めたり

閉ざしてきたモノゴトを見つめていきたいマインドが芽生えている。迎春。

 

そもそも去年アルバム”WATER BATH EXPERIENCE”を作ったことは

一つの滑走路みたいなもので、アルバムを苦労させて完成させた

マインドで今年もチャレンジしていきたい、それが言いたかった。

 

ということで洋楽ロックオタクから始まった人生なので、英語やります。

 

大した結論でもないのですが、

東京ゾンビ渾身の「喪失」と「再生」のアルバム

”WATER BATH EXPERIENCE”を作ったあの頃の

アラサーの憂いの延長線上にある道を打破するネクスト

ステージを勉強に回帰したいと思います。

 

そして今年はアメリカ行く。

ゴールデンウィークを棒にふって
1週間前に熱で寝込んでから不甲斐ないことにまだ熱が治らず、レコーディング追い込み負荷によるストレスかな、過労死とかしないかな。


不安な気持ちで病院へ。


会社の近くの神谷町の病院が改装オープンしてて、マツコデラックスとクリームシチューのお祝いの胡蝶蘭が飾られていた。


その後ドキドキしながら診察を受けるも、医者から絶対ストレスで熱が出ることはないと一蹴されたが、先の一流芸能人の胡蝶蘭を見た後だとなんだか説得力を感じるのであった。




もうすぐパッケージ含めて完成です!!
愛しのとん水〜下北沢のステキな定食屋さん〜

45年間続いた下北沢の一番街の老舗定食屋「とん水」が昨日幕を閉じました。

僕はその中の9年間お世話になりました。


下北沢北口引っ越してきてはじめて一人暮らしして、最初に見つけたなんか心のオアシス。

こんなことあっていいのか、喋るだけでくすくす笑いがこみ上げるおばちゃんの魔法のイントネーション、黙々と料理作ってるかと思いきや、たまにテンション高い時のおいちゃんもキュート。


先日行った時も、おばちゃん何か用があって出口に向かったけどお客さんに呼び止められ、再び出口に戻ると振り向いて、「何しに来たか忘れちゃった〜、みんな考えて〜」…店閉めるの忘れてたらしい。

 


お茶目過ぎるから!!

 


そんなとん水劇場を眺めながらご飯食べるの楽しかった〜。
お店に入ったら「お帰りなさい」、帰る時は「おやすみなさい」

ただ食べるだけではない、楽しい食事のとり方があった気がします。

味は薄めでやさしい味だから、食べた後ほっこりするし、サイドメニューの手頃な値段の小鉢がいっぱい頼めて楽しいし、23時半までやってるやさしさ。芸能人をはじめ、救われた若者数多し。
かの松田優作も通ってたってのが有名だけど、さぞ色々な思い出あるだろうと思い、そのこと聞いたら「おっきかった〜、怖かった〜」で終わった笑

 


ずっとずっと続いて欲しい空間でした。

 

 

一曲じゃ表せないけど、感謝の曲「愛しのとん水」を作りました。

最終日、友人のとん水ファンの寄せ書きをCDに書いてもらったものを渡しました。

 

おじちゃん、おばちゃんありがとう。

 

今回の閉店は建物の取り壊しがきっかけらしく、まだまだ続けたい気持ちはあるとのこと。

物件を探しているそうです。


復活を願う!!

 

 

『愛しのとん水』 東京ゾンビ

 

育ってきた地を離れて 離れてゆく
僕らには次のステージが待っている

 

いつからか住み着いたこの地も
行きつけの店なんかできてきて
夜遅くなっちまった日なんかさ
ちょっと入りたくなるのは何でだろう

 

迷路のような路地の下北沢
斜めに伸びる一番街の
小窓から顔がちょっと見えると
それだけで心がホッとする

 

すりガラスの引き戸をガラガラ
お帰りなさいなんて言ってくれる
懐かしい気持ちにトリップする
愛おしい気持ちがホイップする

 

一人で暮らす部屋に帰ると
閉まるドアの音がため息のように聞こえる

 

やさしさに出会ったなら頑張れる
そっと手を添えるだけのようなやさしさに
日々つつまじく生きている姿と
そっと手を添えるだけのようなやさしいご飯とその笑顔

 

仕事でくたくたになっちまったり
憂さ晴らしにちょっと飲み過ぎたり
そんな夜にはお腹も減ってさ
とん水のご飯が食べたくなる

 

ようこそ友達を招いたり
あの娘とよく一緒に行ったり
たわいもない話が広がり
オチがなくてもどうでもいいし

 

つけっぱなしのテレビ眺めつつ
あーだこーだ言って食べてる時間が
繰りなす独特のリズム感
とてもとても愛しいこと

 

一人で暮らす部屋で食べるご飯
たとえどんなに美味しくできても何かが物足りない

 

やさしさに出会ったなら頑張れる
そっと手を添えるだけのようなやさしさに
日々つつまじく生きている姿と
そっと手を添えるだけのようなやさしいご飯とその笑顔

 

やるべきことがたくさんあってここにいる
やるべきこと見失って立ち止まることもある
物事は常に移り変わって染まっていく
やさしに君が触れたならその分誰かにも与えようぜ

 

育ってきた地を離れて 離れてゆく
僕らには次のステージが待っている
やさしさに出会ったから頑張れる
そっと手を添えるだけのような


やさしいおじちゃん おばちゃん ありがとう

 

JUGEMテーマ:下北沢

おセンチ日記「水風呂」

下北沢は春になり、外国人の観光客が増えた気がする。

あちこちをキョロキョロ見渡して、半袖とかで歩いちゃう彼らは

春の桜を見に来たのに

 

「なんだ咲いていないのか」

 

って様子で、それでも街ぶらを楽しんでいる。

 

僕はといえば、最近は飲みほうけていたけど、

少し落ち着きを取り戻している。

 

この数ヶ月じわじわと蝕んだ

一連の出来事の流れで生じた心の大きな揺れはきっと

 

新しい自分を生み出すに違いない。

 

ようやく順応しようとしかけている。

それはまるで水風呂に入る時のような 体や胸をキュッと締める時の小さな苦痛への順応。

サウナや熱い湯に浸かってポカポカの状態から入ると割と爽快なんだけど、

どちらかというとぼんやりぬるま湯に浸かっていたから逆にきつい。

それでも体は順応して、 新たな熱を帯びるだろう。

 

タイタニック号じゃなくて、 ここが大衆浴場なら。

 

一昨日の夜は帰りがけ、 灰野敬二を見かけた。

白髪サングラスの異才は紛れもなくかっこよかったな。

 

ちょっと離れるという選択もあったけど、

もう少し下北沢に留まることになりそうだ。

また普通の人が選ばない見晴らしだけないいすみかを見つけたよ。
 

 

今の家広くてもったいないのでパーティーでもしたいぜ。

あと、今更気づいたけど、レコーディングに良さそうないい響きのするコンクリ作りだ。

まずは空いた時間ミニアルバムでも作りたいな。